Dream Link BLOG

カンボジアでの学校建設にまつわる情報を発信しています。

カンボジアの歴史について

こんばんは!
本日は、カンボジアの歴史についての記事を投稿します。

歴史の勉強はこれからも積み重ねていこうと思います。

 

●基本情報

立憲君主制

国会は二院制(国民議会と上院)。

フン・セン(Hun Sen)首相。

1953年、フランスから独立。1970年代より内戦状態に陥り、1975年から79年にはポル・ポト派が政権を握る。1991年10月23日、パリ和平協定で内戦終結し、1993年にカンボジア王国が成立。

 参照元カンボジア生活情報サイト「NyoNyum」

http://nyonyum.net/archives/275

 

●1970年代

実際には、1970年3月に、アメリカの支援を得たロン・ノル将軍がクーデターにより政権を握り、カンボジアの長期にわたる内戦の歴史がはじまっています。

特に、1975年4月17日、前政権が倒されポル・ポト政権が誕生すると、さらなる恐怖政治の時代が始まりました。

貨幣禁止、宗教の否定など急激な大改革が行われ、知識人の処刑や強制労働による衰弱、病気、飢えにより、少なくとも200万人以上の人々が命を落としました。

参照元公益社団法人シャンティ国際ボランティア会

sva.or.jp

 

原始共産制社会

当時のポルポト政権は、階級支配の撤廃を目指し、資本主義的要素に含まれる貨幣経済の撤廃や、地方への国民の強制移住を実施しました。

極端な重農主義により、国民の地方での農業を強制し、自給自足の経済体制をつくりだそうとしました。

 

●虐殺の背景

上記の政治経済体制を確立する為には、貨幣を通して経済を動かす知識を持つ、いわゆる「知識人」と呼ばれる人々の存在が対立をすると考えた政権は、多くの知識人の命を奪いました。

学校教育は廃止され、学校の校舎は破壊されるか、軍の基地や刑務所などとして使用されました。

教員は知識人とみなされ、小学校の教員も8割が殺されるか、強制労働で命を落としました。また焚書政策によってカンボジアの書物の大半が失われました。

眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者など、少しでも学識がありそうな者などは片っ端から収容所に送られ殺害されたとされています。

 

●地雷の影響

1960年代後半のベトナム戦争に巻き込まれて以来、約30年以上におよぶ戦争状態が続いたカンボジアで使われた地雷の数は、推定400万-600万個とも言われます。

2004年-2008年の間の地雷・不発弾被害者のうち、32%は子どもの被害者とされており、子どもの将来へも深刻な影響を及ぼしています。

参照元:認定NPO法人テラ・ルネッサンス

www.terra-r.jp

 

●地雷の恐ろしさ

特に子どもの場合は、不発弾と知らずに触って遊んでいるうちに爆発することが多いです。

手を粉々に吹き飛ばされるだけでなく、爆風によって吹き飛んだ破片が目に入り失明してしまうこともあります。

また成長期に入る子供にとっては、切断した足の肉を、成長に伴って伸びた骨が突き破り、そのたびに襲う激痛に耐え、骨を削って肉を整えます。

成長が止まるまでは、その苦しみを何度も繰り返さなければならないという現実も有ります。

地雷撤去に伴っては、ほとんどが手作業で慎重に行われるため、毎年撤去できる地雷の数は4万個〜5万個ほどです。

撤去資金が不足しているため撤去隊員の数も不足しており、いまのペースだとカンボジア国内の地雷・不発弾すべてを撤去するには100年以上かかるといわれています。

参照元:Cambodia Mines-remove Campaign(CMC)

cmc-net.jp

 

●国に教育は不可欠

言うまでもなく、人々への教育は不可欠です。

ですが、知識人が命を落とす事により、場所としての教育環境が破壊されるだけではなく、そもそも教師の存在が不足する等の問題も顕在化しました。

 

●国の再建と復興に向けて

1979年1月、ヴェトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権が誕生し、人々はポル・ポトによる恐怖政治から解放されましたが、新政権がヴェトナムの傀儡政権とみなされたため、多くの国連加盟国(特に西側諸国)から支持されず、国の再建、復興は進みませんでした。

1991年10月のパリの和平会議において、カンボジア和平協定が調印され、その後の暫定統治体制を経て、政治的安定と経済発展により平和構築に向かって行く事となりました。

 

●内戦終結後の教育環境改善に向けて

内戦終結後、校舎の建設が行われていますが、2010年の教育省の調査では建物の状態が良好な校舎の数は「5割」にとどまっています。

教室数が不足している学校では、午前と午後にわかれた2部制をとっていますが、それでも追いつかないところは3部制をとり対応しています。

(Dream Linkが建設するターポン村の小学校では2部制となる予定。)

そのため、児童一人当たりの授業時間は短くなっています。

また、内戦で教員が激減し、数を補うため正規のトレーニングを受けずに村長が選んだ村人が教員になりました。

 

●残る爪痕と、クラチェ州への影響

クラチェ州には、内戦より前に空港が存在したと言われています。

ですが、内戦時代に空港が焼き払われた影響で、陸路での移動手段に限られている現状となっています。

その為、大都市のプノンペン州やシェムリアップ州から、

多くの所要時間をかけなくてはクラチェ州までは移動することができません。

この事が、教育支援がクラチェまで届いてこなかった一つの原因ともされています。

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(ピンク色で囲まれた「KRATIE」と記載された州がクラチェ州)

 

多くの困難が待ち受けているとは思いますが、

「本当に必要とされている場所に、必要とされている教育を」

というスローガンのもと、前に進みたいと思います!

 

Dream Link

藤井智也

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《現在のカンボジア小学校建設資金》 
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279プロジェクトは、279名の方から「1口1万円」をお預かりし、イベント収益金や物販収益金等を合わせて、300万円を目標に小学校建設の資金を集めるプロジェクトです。2014年8月24日からプロジェクト始動しました。

ご参加はお1人で1万円でなくても、グループで1万円などでのご参加も可能です。ご協力を頂いた方は、毎月1度実施している「279プロジェクトご参加者の集い」へのご招待や、建設終了後に出版予定の本への掲載も考えています。

279プロジェクトご参加者の集いでは、279ご参加者様同士の親睦を深めるだけでなく、Dream Linkの活動報告や今後の活動内容の話し合いも実施しています。

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